7.3.10

「清楚」「可憐」の違い

清楚:
飾り気がなく、きよらかなこと。特に女性の姿や服装についていう。

可憐:
かわいらしくて、いたわりたいこと。

「可憐」は「憐れむべし」だから、「いたわりたい」気持ちがあり、その対象は「かわいい」となる。「可憐しい(いじらしい)」のような読みもある。

「清楚」の「清」が、すがすがしい、きよらか、というのはわかるが、「楚」はいばらや刑罰のむちがもともとの意味で、どうも美人とあまり関係がない。
「清楚」なら美人の形容だが、「苦楚」「辛楚」「酸楚」「痛楚」はどれも痛くて辛い「いばらのとげ」のイメージが強い。「楚楚」でも、美人の形容と苦痛と、同じ言葉なのに正反対の意味がある。というより、「清楚」はかなり例外的な「楚」の使い方だと思われる。

どこで「楚」に飾り気のない女性という意味が与えられたのか? たぶん「楚腰」という熟語にあるようだ。
これは「楚の霊王が腰の細い美女を好んだ」故事に由来する熟語で、「美人のほっそりした腰」を意味する。
ただし、王の好みに合わせようと無理なダイエットに励んだ結果、餓死する女性が宮中に多くいた、と故事にはある。思うに、王の目を奪う美の基準とは、命がけで(それこそ、むち打ちの刑罰を受けるがごとく)手に入れるものだったのだろう。
杜牧の詩「遣懐」にも書かれているから、男から見た女性のタイプとして、「楚」は飾り気のない、ほっそりした、という意味が加わったと思う。(その裏に、餓死した女性が多くいたことは、薄められていったのだろう。合掌)

「清楚」は飾り気が無く、清らかである。特に姿や服装についていう。ほっそりした痩せ型の女性を意味する。少女に対して使うのは、かなり違和感をおぼえる。
「可憐」は「かわいらしい」ことに重点を置いている。姿や服装は「かわいらしさ」を強調するものであることが大事だろう。また、どちらかといえば少女などに使うもので、大人の女性に対して使うと、「子供の持つピュアなイメージ」がある、と受け止められるように感じる。

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